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No Title-ともや

No Title-ともや 画像

神様お願いです。


ここぞとばかりに
沖縄に特大の雨風、
神風をよろしくお願い致します。

お久しぶりです
今週もブログの季節がやってきましたね
ともやです



本日は昨年末に紹介したデジタルアートの続きについて
書いていきます

自身の感覚を通して見て頂きたいのですが
あいにくGIFが載せれないので
これまた、静止画でご勘弁ください。。


制作過程を簡易的に説明すると
3つのGIFを並べ、そこに文脈と意味付けを行っただけです。

ちなみにこれを制作しながら何を考えていたかと言うと。
1つめは
人間はノーフィルターで観ることはできず。
必ず自身の経験や知識のフィルターを通してでしか
観ることができない。

人は自由に物事を見ているようでいて、
実のところは、限定された見方しかできないという点です。

2つめは
人は自分自身を通して世界を見通している
そして、その世界を通して自分を省みているよな
ってことです。

この作品を見ることで、作品を見ている自身を見ているかのような。
「自分と内面の合わせ鏡」になってるなと作りながら考えていました。

3つめは
出来事/物事の意味は、それそのモノ(対象/Object)にではなく、
事象に対する私たちの態度(stance/to be)に横たわっているもの。
と言うことです。

私たちが事象や現象を見て、それらの意味を捉える時。
「見えている物」は、その「物」自体なのか、
それとも見る「者」が認識したコンセプトでしかないのか、
という問いかけを見るモノに投げつけてます。

初めから対象物が抱えていたモノか
それとも、それを見る者によるモノなのか、、
を枯山水を例に説明すると

対象となる「物」自体が持つ余白なのか、
それともそれを見る「者」による余白なのか。。
と言うことです。

言わずもがな、、
視点もフォーカスの対象も一つではないわけですね。
↑これが4つめです。

多角的な視点=言葉の多さ=色彩の豊かさ=意味の豊かさ(Meaningful)
であり、、
美しさを捉える「眼差し」が価値を測る「ものさし」にもなり得ます。

琴線に触れるものが増えるほどに色彩は豊かになるはずで、
逆に知識や経験がなければないほどに、モノクロに趣の浅い景色に近づく
と言えます。

悪態をつく人、愚痴が多い人は
場所や環境の問題ではなく
ただただ最初から最後まで個人の内面に抱える課題というわけです。

っで、本日はこれぐらいにして、
次週また続きを書きたいと思います!!

2024.2.9
Tomoya:))

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